夢を見ていた。
夢の中で僕は、何かをやり遂げ、達成感に満ち溢れていた。視界がぼやけて、はっきりは見えないけれど、痛いくらい耳に当たるパチパチという音は、確かに聞こえていた。それはまるで、多くの人たちから称賛の拍手を受けているようで、とても気持ちが良かった。
『ねぇ、起きて。起きてよ。』
目をこすりながら瞼を開けると、いつもの学校…。授業中だというのに居眠りをしてしまった。先生に怒られないように声をかけてくれたのは、幼馴染の彼女。今も心配そうにこっちを見てくれている。
『やっと、起きた…。先生がずっと、見てるじゃん。今132ページ。』
黒板に向かい授業を進める先生を見ながら、大きく背伸びをした。席は1番後ろの真ん中。居眠りをしても、背伸びをしても、誰にも気づかれにくい場所。
彼女に教えてもらった教科書のページを開き、黒板に書かれている事をノートに書き写し始めた。
学校は嫌いでも、好きでもない。周りの大人が言う「普通。」というレールに乗っているだけ。洗脳に近い集団行動であっても、特に僕は何も感じない。
『あれだけ寝てて、よく何もなかったように授業を受けれるもんだね。ねぇ、私に言う事あるでしょ。』
『ああ、ありがとう…。』
彼女は、誰にでも優しい。僕にだけ特別扱いというわけではない。もし、困っている人がいたら、迷う事なく手を差し伸べるだろう。
周りとの違いとすれば、付き合いが長いだけ。小学校3年生の時に、2軒どなりに引っ越してきて、それ以来、同じ学校に進んできた。幼馴染というだけで、一緒に遊んで、恋愛感情を抱いて…と、アニメみたいなイベントは全くなかった。
性別の違う生き物だからこそ、遊び方も違えば、友達も違う。付き合いが長いというよりは、「昔から知っている近所の顔見知り。」という方が、正しいのかも知れない。
キーンコーンカーンコーン…。
今日、最後の授業が終わった。ホームルームでは、もうすぐ雨が降るため、寄り道せずに真っ直ぐ帰るように言われた。
学校の門を出て、空を見上げると薄暗い雲が広がっていた。折りたたみ傘を用意していないし、寄り道する用事もない僕は、担任に言われたように真っ直ぐ家へと向かった。
何も考えず、ただ歩いた。いつも通りの日常が今日も過ぎていくと思っていた。しかし、思いもよらないそれは急に訪れた。
同居している祖母が死んだ。84歳だった。家の前には救急車が止まっており、両手で祈りながら心配そうにしている母親が立っていた。
走ってかけよって、何があったのか聞いた。急に走ったからじゃない…。理解できない出来事に訳もわからず、心臓の音は耳の中まで響き渡っていた。
昨日まで…、いや、今日の朝まで話をしていた人を失った。いつかは死ぬだろうと分かっていたけど…、それはまだまだ先の事だろうと思っていた。
日が暮れ、本格的に雨が降り始めた。
自宅に帰ってきた祖母は、人形のようだった。おじ達は、祖母の顔を見て『穏やかな顔をしている。』と泣きながら話していた。すぐに死を受けいれようとする大人が、とても気持ち悪く思えた。
通夜、葬儀、告別式、火葬とスケジュール通りに進み、祖母は跡形も無くなった。1匹の動物が、この世からいなくなる…、少し考えれば当たり前の事なのに、僕のみぞおちには、えぐるような傷が残った。
この頃から、何もかもが怖くなった。いずれ待ち受ける死への恐怖が、非力で無力な僕の歩みを止めた。
『ご飯よ。たまにはリビングで食べなさい。』
『はい。』
祖母の死んだ日から、学校へは行けていない。なぜか、もう行く必要がないと思ってしまった。
朝食が用意されているリビングに着くと、テレビで放送されている番組が梅雨入りを宣言していた。
『今日も家にいるのね。おばあちゃんがいない事は、辛い事だけど…、全部あなたが背負う必要はないの、家族なんだから親を頼りなさい。』
『うん。』
母親は優しかった。無理に学校へ行かせようとはせず、意味のわからない子どもの行動を受け止めてくれていた。
『じゃあ、今日はおばあちゃんの部屋を片付けるから、あなたも手伝いなさい。』
朝食を食べた後、祖母の部屋へと向かった。いつも綺麗にしていた部屋でも、数日経てば埃や髪の毛が落ちていた。祖母がまだいる…。そう思えて仕方がなかった。
母親が掃除を進める中、僕は化粧台に出たままになっていた櫛やハンドクリームを引き出しにしまう事にした。
台のすぐ下にある棚をひくと、手紙があった。
『誰に手紙を渡そうとしてたんだろ…。』
宛名を確かめてみると、僕の名前が書かれていた。片付けが終わった後、母親にも伝えようと思ったが、まずは1人で読もうと自分の部屋へ戻った。
『手紙…、なんだろ。』
勉強机の前に座り、封を開けた。
手紙には、「ノンフィクション。 」というサイトのURLと、『もう一度生き直して欲しい。』の一言が書いてあった。
それはまるで、祖母自身が死ぬ事を知っていて、しかも僕が立ち止まってしまう事を予測している不思議な内容だった。
僕はノートパソコンに、書かれていたURLを打ち込んだ。すると、「ノンフィクション。」と書かれた検索エンジンサイトに繋がった。
「ノンフィクション。」の使い方はこうだ。
①、あなたが思う1名だけ、名前を打ち込み検索。すると、その名前の持ち主の、現在から死に至るまでの情報を知る事ができます。
初めての利用者様には大サービス。
②、5文字だけ、あなたの人生に書き加える事ができます。書いた通りの事が現実に起こります。
※「死なせない」など超常的な言葉は打ち込めませんので、悪しからず。
試しにテレビで映っていたアイドルの名前を打ち込む事にした。しかし、エラー…。
『本名しかダメなのかな。』
ピーンポーン。
急に家のインターホンが鳴った。
対応した母親から、幼馴染の彼女が来ている事を知らされた。
『誰にも会いたくないから、適当に言っといて。』
部屋から耳を澄ませると、母親と幼馴染の彼女が話す声が聞こえた。心配してわざわざ家にまで会いに来てくれたのに、会おうとしない僕の代わりに礼を伝えていた。
タン、タン、タン…。
階段を上がってきた母親から学校からのお知らせやプリントを受け取った。
「早く学校に来い、バカ。」
プリントには丁寧にも悪口が添えられていた。だが、感謝している。こんな僕でも手を差し伸べてくれている事に。
『どんな人生を送るんだろ…。』
たった1人、人生を変えれるのなら自分ではないと思った。彼女にはただ、幸せになってほしいと思った。
彼女の名前をノンフィクションに打ち込んだ。
彼女の人生は…、余りにも短すぎた。
マウスのスクロールホイールを回す事なく、書かれていたのは今日、そして明日まで。
また、彼女は雨の中、僕にプリントを渡しにくる。そして、その帰り道に見ず知らずの人に刺されて殺される。
テーブルに肘をつき、下を向きそうになっている顔をなんとか支えた。
しばらく、ボーっとしていた。聞こえてくるのは、外の雨が窓を打つ音だけ。
テーブルから立ち上がり、閉め切ったカーテンを開き、暗くなった外の玄関を見た。
『あそこで、彼女は死ぬ。』
想像力だけはあるのか、ないはずの遺体が脳裏に映し出された。僕はゆっくりと目を閉じ、左手で眉をかき、両目を掌でふさいだ。
『自分の名前を打ち込んでいたのなら、どんな人生だったのだろうか…。』
目を開けた時には、もう心は決まっていた。
『のどが渇いた。』
飲み物を求めて、1階に降りた僕は、コップに牛乳を入れ飲み干した。冷蔵庫には大好きなプリンがあった。母親が買ってきたのだろう…。
おもむろにプリンを手に取ったが、食べるのをやめた。楽しみは最後にとっておこうと思った。
部屋に戻り、ノートパソコンの前に座った。
ノンフィクションに書かれた、彼女の人生。これが本当に現実に起こる事なら、変えられるのは僕だけ。
「刺されて殺される。」を「刺されて殺される”のを救う”。」と5文字書き加えた。
親切にも、「本当によろしいですか。」の確認があり、迷う事なくクリックした。
『ご飯よ。』
『はい。』
下から呼ぶ母親の声に返事を返し、いつも通り夕食を食べ、お風呂に入り、ベッドに入った。一日で色んな事があった。疲れていた僕は、しばらくすると眠っていた。
夢を見た。ひとつは、彼女の夢。もうひとつは、祖母の夢。
夢の中で、未来を知った僕は彼女を救おうとしていた。ない頭で考えて、警察に不審者がいるとパトロールをお願いしていた。それでも彼女が心配になり、最後は学校へ向かっていた。そこからは、彼女との時間を過ごし、彼女を守りきった僕は彼女と付き合っていた。
祖母の夢は、「こっちにまだまだくるんじゃないよ。」と心配している様子だけを覚えていた。
目を覚ますと夕方になっていた。母親は仕事へ行き、家には僕だけだった。まだまだ眠たかった僕は、顔を何度も洗った。
寝巻きにしている上下のスウェットに、黒のカッパを羽織り、外にでた。
『今日も雨か。』
鬱陶しいぐらいに降る雨でも、彼女に会えると思うと何も気にならなくなった。
周りを見渡すと不審者らしき人はいなかった。
僕は少しずつ、ノンフィクションを信じなくなっていた。このまま何も起こらない…、とどこかで思いながら、彼女が来る方をずっと見ていた。
今日は、しっかりお礼を言おうと思った瞬間、傘をさして、こちらに向かってくる学生姿の女性が見えた。
もうすぐ彼女と出会える。そう思うとなぜか前が見れなくなった。足元を見ながら、カッパにあたるパチパチという雨音を聞きながら、心を落ち着かせていた。
『大丈夫、きっと彼女は僕が救う。』
そう決心し、前を見た瞬間…、ドンッと前から誰かがぶつかってきて、その勢いのまま後ろに倒れた。
『ねぇ、起きて!起きてよ!』
頭が痛い…。後頭部を打ちつけて、しばらく気を失っていた。
『ゆ、め…。』
朦朧とする意識の中、今まで走馬灯を見ていた事を理解した。腹部には尖った物が突き出ていて…、生温かいものが溢れていて…、赤子のように体を縮めていた。
僕が刺されたのか…。
これで彼女を救えたのかな…。
そうだ、冷蔵庫のプリンまだ食べてないや…。
『誰か、誰か助けて!』
彼女の声がする…。言わなくちゃ…、いつもありがとうって…。
気にしないで…って…。
倒れる彼を幼馴染の彼女は助けようとした。しかし、救急車が到着した時には、すでに彼の体は冷たくなっていた。
彼女は雨に打たれ続けながら、呆然と立っていた。その姿を見ていた警察官の判断で、彼女を近くの病院へ連れて行く事となった。
『大変だったね。また話を聞きに来ると思うけど、今はゆっくり休んでね。ご両親には私の方から連絡しておくから。』
『はい。』
病室まで送りとどけてくれた警官は、彼女をゆっくりとベッドに寝かして退室した。
『また、この病院…。』
病室の天井を見ながら、彼女は昔の事を思い出していた。
生まれた時から私は体が弱く、病院生活を余儀なくされていた。いつ死ぬのか…、そればかり考えて生きている日々を過ごしていた。
もうすぐ定期の外出許可が出る頃、担当医から両親だけが呼ばれた。いつもと違う対応が気になった私は、診察室へと向かってしまった。
信じたくはなかったが、やはり余命宣告を両親は伝えられていた。
1人でいる事が怖くなった私は、誰かがいつもいる待ち合い室のベンチに座っていた。
入院着で落ち込む私を察したのか、隣に座っていたおばあさんが、ノンフィクションという不思議な話を聞かせてくれた。
最初は私を励ますための嘘だと思っていた。でも、そのおばあちゃんの言う事は本当だった。
持っていたタブレットに教えてもらったURLを打ち込むと、そのサイトに繋がった。
そして、私は『救われる。』ただそれだけを「ノンフィクション。」に書き加えた。
次の問診の時、身体を蝕んでいた病気はなくなっていた。それからすぐに退院の許可がおりた。
私は生きながらえた。
でも、再発を恐れた両親の案で、病院の近くに引っ越す事になった。
うれしかった。
出来ないと思っていた事が出来て、何不自由なく暮らせる事に幸せを感じていた。
そんな私だからこそ、困っている人を見ると手を差し伸べたくなった。辛い思いをしている人を見過ごせなかった。
『あなたが無事で、とにかく良かった。』
病室に駆けつけ、心配する母親に笑顔を見せて、安心する様に伝えた。
『疲れたから、もう少し休むね。』
『何かあれば、すぐに言いなさいよ。今から先生に話だけ聞いて、また戻ってくるから。』
『うん。ありがとう。』
誰もいなくなった病室で、私はカバンに入っていたスマホの電源をつけ、暗証番号を打ち込んだ。
慣れた手つきでノンフィクションのサイトを開き、幼馴染の彼の名前を打ち込んだ。
しかし、エラーだった。誰に彼が刺されたのか、分からなかった。
ただ分かっている事とすれば、子どもの頃に私が書き加えた『救われる。』のせいで、自分が死ぬタイミングを失った事、そして彼をも巻き込み…、また命を救われた事だけだった。
たった5文字の言葉の重みと、ノンフィクションの怖さを改めて知らされた瞬間だった。
病室の窓を見ると止んだ雨雲の隙間から、夕焼けの優しい光が私の胸を刺していた。無情にもその光は、私のこころを照らしあたためていた。
[第22話]